僕が助監督として入っていた作品の現場で、大江戸康さんがプロデューサーとしていらっしゃったのが初めての出会いです。僕から見た古美術商としての大江戸さんはすごくパンクな人。一度、撮影現場のみんなで飲みに行ったことがあり、スナックで僕がカラオケを歌ったんです。その半年後に大江戸さんから電話がかかってきて「平波くんの歌が忘れられないんだよ~」「え!?」っとなって。「一度会わないか?」となり、この脚本を渡されました。アプローチの仕方も含めて奇特な怪人です。
我々が「伝説の初稿」と呼んでいる大江戸さんの最初の脚本は、この上なく荒唐無稽でアンダーグラウンドなものでした。めちゃくちゃだけど、近代小説のような読み物としての面白さがある。荒戸源次郎さんがプロデュースされたり、監督された作品みたいな要素が爆発していました。なおかつ「いいな!」と思ったのが、まったく予算のことを考えずに書かれているところ。そのまま撮ったら5億、下手したら10億くらいかかりそうな物語で(笑)。僕は、普段いろんな制約がある中で助監督の仕事をやっているので、こんなにも無邪気なものってなかなか書けないんですよ。そこで「破天荒さを損なわずに、書き換えさせてくれませんか?」ってお願いして、予算感に合わせてシェイプアップしていったのがいまの『餓鬼が笑う』です。
全然知らない世界だったのですが、淡々と何千万という現金が動いていく様子が新鮮でした。大江戸さんにお話を聞いたり、一緒に実際の骨董市場に見学に行ったりして、基本的な勉強はしつつも、自分の目から新鮮に見えたものを、映画でそのまま見せられたらいいなと思って撮影に臨みました。劇中に登場する蝋燭の絵は、高島野十郎という画家による実在する絵です。これは大江戸さんが「絶対出したい!」とこだわっていらした作品で、この絵にインスパイアされたと言っても過言ではないような存在なんです。
大江戸さんと推敲を繰り返して、最終的な決定稿は僕が仕上げていったんのですが、その際「主人公がモラトリアムの若者」という基本的な部分は変えないようにしようと思いました。例えば大きな市場に行って挫折するというのは、大江戸さんが若い頃に経験したこと。また、「骨董」という過去から現在まで何人かのオーナーの手を渡ってきた題材として扱う上で、「記憶」を巡る話にできないかなと考えていきました。そこで、ヒロインの命についての考え方やラストの展開など「記憶」と結びつく恋愛的な要素を僕が足しました。僕は割とロマンチックな嗜好がありまして…。
初めはもっと刹那的な話だったんです。鈴木清順作品とかATGのある種のアンダーグラウンド作品みたいな雰囲気は僕も好きなのですが、これをリライトするとしたら異質な青春映画のように落とし込むのがいいかなと思って。
実際に参照したのは『アンカット・ダイヤモンド』(19年、ジョシュア・サフディ&ベニー・サフディ)や『アンダー・ザ・シルバーレイク』(19年、デイヴィッド・ロバート・ミッチェル)など現代的な映画です。話としては『無能の人』などのつげ義春さんの漫画なども少し意識しました。
田中俊介くんは自分の監督作の他にも、助監督として関わった作品で何本かご一緒していました。モラトリアムの延長線上にいそうでありながら、役者としてのたくましさも持ち合わせています。田中くんの新たな可能性を見てみたいなと思い、僕からオファーしました。白石晃士監督の作品などでタフな経験を積んでいるので、この作品でも彼と一緒に“地獄巡り”をうまくやれそうだなと。
山谷花純さんはオーディションで選ばせていただきました。すごく凛とした、“強さ”も“弱さ”も出せる方で面白かったですね。オーディションのときも「脚本について何か質問はありますか?」と聞いたら「この主人公たちが出会うシーンは、何回めなのですか?」と。ああ、理解されているなと思いました。
萩原聖人さん演じる国男は、もともと大江戸さんの最初の脚本に骨董業界のガイド役として登場はしていました。それを自分なりに書き換えていく時に、別の人物として描かれていたホームレスのキャラクターも合わせて国男にしたら、物語が膨らむんじゃないかと考えました。萩原さんに演じてもらったことでより広がっていた部分もありますね。
他の方々も「出ていただきたい!」と思ってこちらから声をかけて、即OKをもらってとても嬉しかったですね。田中泯さんとは面識すらなくて。『蜃気楼の舟』(20年、竹馬靖具)や『はるねこ』(16年、甫木元空)など、知人の関わるインディ作品にもご出演されているのも存じ上げていたので、プロデューサーの鈴木くんたちと相談して、勇気をもってオファーしてみたのですが、台本を読まれてまさかの好感触を頂けたと聞いて。ダンサーとしてものすごくストイックなはずだけれど、役者としての雰囲気はとても柔らかい方でした。
『餓鬼が笑う』は、毎日違う映画を撮ってるんじゃないか?と思うほど大変な撮影現場でした(笑)。でもスタッフが百戦錬磨で頼もしかったこともあり、僕にとっては全然苦にはならなくて、とても楽しかったですね。クランクイン初日は、主人公の大が路上で物を売るシーンを撮りました。脚本になかったこととして、大が血まみれになって走り出すスローモーションのカットがあります。あれは僕が現場で思いついて「撮ろう!」と言い出した場面。映画を撮るに際して、どこかでアクセルを入れたいなと思い、初日だし景気付けに「やってやるぜ!」と、エキストラさんを含め30~40人が疾走してくださって、映画作りという祭りが始まった感じがしました(笑)。
競り市場のシーンでは実際の骨董業界の方たちに出演してもらいました。やっぱり役者さんやエキストラの方々には出せないような空気があるし、そこが大江戸さんのこだわりでもありました。あの中には骨董屋の役で役者さんも混じっていたのでリアリティと芝居のバランスがすごく難しかったです。役者さんにとっては、実際のプロに見えた方が嬉しいんでしょうけどね。骨董は駆け引きの世界だからいい呼吸で人と接する必要があって、プロの方々は元々芝居のような仕事をしているんだなと思いました。とはいえ、アングルを変えて何度も同じ芝居をすることとか、強い照明を当てられることとかにはもちろん慣れていないので、編集してみたら前後で全然違うことをしていたり、眩しそうな顔をしていたりする人もいて(笑)。その自由な感じが面白かったですね。
章立ての構成は過去作から取り入れている手法です。僕の感覚かもしれませんが、映画はチャプター分けをすると物語をより俯瞰できるような気がしています。その俯瞰が、語り手と物語との距離感を生んでしまうことへの危惧もあるのですが、今回の作品では特にしっくりきた気がします。主人公の置かれている状況がどんどん変わっていくのと章の進み具合が対応している、というか。あとは、チャプター・タイトルによって見る人たちが前もって文字情報を知ることになるので、話の受け入れ方が全然違ってくると思うんですよ。ナレーションとも似ていて、作劇としては難しい部分もありますがどんどんやっていきたい手法です。
僕はこれまではオリジナルで考えた物語を撮ることが多かったのですが、今回は企画者である大江戸さんが温めていた自伝的なお話を基に撮ることになった、という特殊な経緯があります。その意味では自身のフィルモグラフィーの中において異質といえば異質なんですが、今までの作品もどっちかというと変な物語が多かったので(笑)結果としてですが、これまでの自分の集大成みたいな作品になったと思っています。
ウィルスや恐ろしい戦争など、
夢のような出来事が現実におきてしまう時代だからこそ恐怖を感じた作品。
お世話になってきた俳優さんが多く出演しており、
見ながらこれは自作なんじゃないかと、夢と現実の境目を見失った、笑。
ATG的でもあり、現代的でもあり、ヒップホップムービーだと思いました。